人間は産まれながらに不平等である。
生まれてくる家庭や環境は選べません。なので、成年になるまでは、どんな理不尽にも堪えて、淡々とチャンスを狙わないといけないのです。
たぶん、その時に自分が十年越しにチャンスを掴むくらい粘り強くなる力を蓄えたのだと思います。
そして、成人しても、辛いこと、失望するようなこと、理不尽がたくさん起こりますが、十代との違いは努力と知性でそれらをひっくり返すとができる可能性があるということです。
だから、二十代って、努力の時代なんです。
努力をして、傷を乗り越えることができたら、誰かを恨まずに済む自分になれるでしょう。ルサンチマンに苦しむ自分自身を乗り越えることができるでしょう。
そうすれば、自分に傷を付けた人達の背景が社会の仕組みにあると気が付いたり、仮に社会がどうならば苦しむ人は減ると、気が付くことになります。
そうすると、その仕組みの構想を練り始めて、虎視眈眈とチャンスを狙うのです。
自分の次の世代を考えることは大事なことです。
何故ならば、人はすぐに死にます。自分もです。
生きることの虚しさは、自分個人が生きることの意味の無さから、やってきます。
それを食い止めてくれるのが、次の世代の存在です。
でも、若者に託したと甘えて、若者の未来を潰したら、今度は自分が加害者になる時です。
時には、古い社会と闘って、新しい社会への道筋を整えるのが、大人のあるべき姿だと思います。
だから、多少の苦しいことに涙して、自分に甘えるなんてことは、あってはいけないのです。
よ、
さかきさん。
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運命との戦い方
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