大阪生まれ、奈良育ち、京都留学した深田です。
初めて、大阪の高校に通った時は、大阪の人たちがしょーもないことを言っては意地悪してみんなで笑を撮ろうとする姿に面食らいましたが、数年いるとそれが、意地悪ではなくて、みんなで笑って楽しもうという意味なんだと理解できました。
でも、大阪人って、何気にいちびりです。
いちびり文化。
いちびるとは、おちょくったり、軽く意地悪することなんですが、すごく突っ込んでくるのも、あれもいちびりなんです。冗談の一種。
他人をけなすのも、傷つけたいという気持ちと突っ込んで笑いを取りたいいう気持ちと、俺は親切やからわざわざ教えたってるねんという気持ちの表現です。
東北地方の人が大阪に留学に来ると最初はいちびりに驚いて泣き出す子もいるんですが、いちびりを交わして笑いに変える力を付けて初めて大阪では人権を得ます。
面白くない人に人権は与えられないのです。
発祥はナゾです。
京都は、ほんわかしてるように見えるんですが、いけずされます。
いけずの日本語訳も難しいのですが、いちびりと多少違います。いちびりは本質的に笑いを取りたいという要素もあるんですが、いけずは違います。
どちらかというと、関西人が、「いけずや!」というと、なんだかはぶられたり、出し惜しみされたり、そういう意地悪をされたニュアンスです。
京都人と対話して泣きだす東北人はあんまりいませんが、それは京都人の高度ないけず技術に「よそもんこんといて」というニュアンスが分からないので傷付きようがないのです。
大阪人は隣でそれを見て、「いけずやなぁ…ε-(´∀`; )」と思うんですね。
京都の人は別に意地悪なのではないです。あれは文化なんです。
外国人がしょうもないプレゼンをして「どうだ?素晴らしい?」とやったときに、「あ、うん。いーよねー。あはは」とやる東京人と似たような交わし術です。
京都は政治の町、坊主が実権握る町、なので、本音で批判するとお家が危ないので、本音がわからないトークは護身術なのです。
それでも、京都の人が雅に振る舞えるのは、
「真実は推して図るべし」
という暗黙の了解のうえでコミュニケーションを取ってるからなのでしょう。
Facebookでも言われましたが、関西人が東京に住んで、たまに帰ると面食らうとコメントがありました。たぶん、私もそういう事件が起こったんだと思います。
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いけずといちびり
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