二十歳のころ。
二十歳のころ、ほぼ全ての財産と小さな夢を失ったことをふと思い出した。
財産といっても、たいしたものはなかったけど、自分のなかで父親のレストランを継ぐという夢が小さな自分にとって、とても大きなものだったということが分かったのは、父が自分の会社を倒産させて姿を消してからだったよ。
それから、アイデンティティの喪失と、自分は何がやりたいのかという疑問で虚無感と焦燥感に駆られる日々が何年も続いたんだよね。
何をやっても、「これは自分がやりたいことと違う」って思ったし。
やりたいこと、なりたいもの、何にも分からないのに、ただひたすら違和感だけがあったんだよ。
一生懸命に頭をひねって、思いつくことはみんなが声を出して笑い出すようなことばかりで、まったく現実的に物事を組み立てられない自分は馬鹿にされていたと思う。
いきなり、「英語をしゃべりたい」といってはカナダに飛び出し、「中国でビジネスがしたい」と思って中国へ行き、「アクセサリー屋を始める」と言って彫金教室に通い、「ネットショップを始める」と言ってパソコンを習い、「株を始める」と言って香港のプライベートバンカーのところに通ったり。もう本当に思いつくがままのめちゃめちゃな20代前半でした。
そして、何にも成せませんでしたw
周囲の反応はというと、最初は呆れていましたが、私のやることのあまりの馬鹿馬鹿しさに周囲は途中で笑い出し、なかには怒って私を殴る親戚もいたよ。新年の挨拶に祖父に向かって額がたたみに付くくらいお辞儀するようなコンサバティブな家庭に育ったから、私の存在に親戚みんなが苦しんでいたのは分かっていた。
それが20代半ばのころに「やっぱり、やりたいことは貿易じゃない、ジャーナリズムだ」と言って片田舎から東京に飛び出して「大学に行きます」と言えば「いい加減にしろ」とも怒られたのに、早稲田に入ったころには誰も何にも言わなくなったよ。
そして、私は何かに成ったかというと、何にも成らずで、ただ、いかに自分の好奇心満足させられるかというだけの日々を今は送っています。
とにかく誰でもいいから、誰かに評価されたい。
そう思っていた20代。
自分の存在を維持するために評価を必要としていた。組織に属したかった。家庭が欲しかった。
大人になって分かったのは、「評価されたい」という気持ちは、いとも簡単に他人に利用される隙を作っていることになるということです。
評価してくれる人が、自分に何を与えてくれるのでしょうか。何も与えてくれません。自分のコンプレックスを逆手にとって、いいように使われるのがオチです。
評価は他人の手に渡さずに、自分で自分を甘めに評価すれば生きることは楽しい。
いま、興味があるもの。面白いこと。心が楽しいと感じること。
それが、何にも成さなくたって、別にいいじゃないかと思っています。
二十歳のころ、空っぽの自分に激しく虚無感を覚えて、胸がかきむしられるほどの苦しみを味わったけれども、あれから12年が過ぎて、何にも成っていなければ、何の経験も積んでない自分に、いまは何のコンプレックスも感じなければ、むしろひたすら好奇心を満たしてきたということに満足を覚えています。
え、なんだって?
とかく、人生楽しんで何が悪い?ということです。