「やれやれ」
マイケルがシリコンバレーに戻り、深田は両手を天井へ伸ばした。普通の仕事は苦にならないが、訳の分からないことが多すぎて最近は肩が凝るのだ。
デスクの上にある電源が抜かれた電子基板を見る。
「電気が通らない基板作ってプリント工業は何がやりたかったんだろうね」
「もえちゃん、でも、私はプリント工業さんに基板に電源入れてってお願いしなかった気がするんです」
誰に話しかけるわけでもなかったが、エリが応えた。
「は?何言ってるの?電気屋でパソコン買って、電源付いてなかったらおかしいでしょ。店員に文句言ったら『パソコン欲しいとは聞いたけど、パソコンに電気通せなんて言って無いでしょ』って言われてるようなもんでしょ」
「でも、全部プリント工業さんの責任にするんですか?」
「エリちゃん、うちはお金払ってるんだよ。基板メーカーにいくら払ってきたと思うの?それなのに納品してきた会社一社も無いんだよ」
エリは基板メーカーとの担当窓口だったので、相手の担当とはかなり仲が良かった。庇いたくなる気持ちは分かるが、損害は大き過ぎる。株主に対する責任があるのだ。
「深田さん、深田さんはメーカーさんにとっては良いお客さんじゃないんです。だから、お金払っても納品して貰えないのは仕方ないんです」
「は?」
一瞬、彼女の言っている言葉の意味が分からなかった。
白いデスクの向こうにいるエリはいつも通りのポーカーフェイスで、黙ってこちらを見ている。
「エリちゃんは取締役で経営側なのに、いつまで経っても製品の一つもできないままでそれをどうやって株主に説明するの?経営陣として説明責任果たせるの?」
エリは応えなかった。
「経営者として恥ずかしくないの?私は恥ずかしいわ!」
垂れ目の大きな瞳が瞬きもせずにこちらを見ている。
「そうですか。深田さんの気持ちが分かって良かったです」
エリはそう言い残して、「今日はもう遅いので」と言ってオフィスを出た。時計は夜の九時。確かに遅い。
「なんだよ。私の気持ちが分かって良かったとか」
そこじゃないだろ、と思いながら夜道をトボトボ歩き、気分転換に一人で近くのワインバーに入った。
「シャンパンください」
「あれ、今日はお一人なんですね」
白シャツに黒ベストのマスターがカウンター越しにシャンパンを指し出した。お気に入りのマッシュルームサラダをつつく。
三年間、仕事帰りにエリと一杯飲むのが日課だった。合言葉は「お腹空いた」だ。
「うん、そうだね」
思わず涙が零れたが、マスターはそっと背中を向けてグラスを拭いた。
続く