「深田社長!ここにハンコ!お願いします」
取引銀行から頼まれて、深田は金庫を開けた。
「あれ?」
入っているはずの印鑑と通帳が無い。そうだ、エリが契約書作るとかで印鑑通帳を持って帰ってしまっているのだ。
「すみません、副社長に預けてて風邪で休んでるんですよ」
「そうですか、それじゃあ次回」
そう言って銀行員は帰って行った。
エリが休んで3日。
電話は通じず、LINEで朝一通メッセージが来るだけだ。深田はLINEで「病気は分かりますが、印鑑と通帳をエリの家に取りに行ってもいいですか?仕事になりません」と連絡すると、「ご迷惑かけてすみません。親友に持って行かせます」と返信が来た。
「おい、友達に持って行かせるってなんだよ。同好会じゃないんだぞ…」
深田は苛立ちを覚えたが、自分の感情より実務を遂行する方が大事だと思って了承した。
しばらくして、エリの親友が会社のパソコンと印鑑通帳を持って来た。
「深田さん、すみません。受領書頂いていいですか?」
と言われて違和感を覚えた。
エリはこれまで取引先とのやり取りで受領書を作ったことが無い。それで散々揉めてきたのだ。そんな人間が会社の備品返すのにここで受領書を要求するのかと思うと、正直気分は良くなかったが、実務優先なのでとりあえずサインをした。
「なんか、おかしな話だよな…」
深田が首を傾げてると、電話がかかってきた。エリの携帯だ。
「エリちゃん!どうなってるの?」
「エリの母です」
「え、お母さん?」
深田は目が点になった。
「エリが深田さんに書類を渡したいので至急お会いしたいのですけど、いつ頃ご都合宜しいですか?」
「え?書類?今日は一日中オフィスにいますけど…」
「それではこれから伺います」
と言って電話は切れた。
いったい何の書類だよと思いながら深田は椅子にもたれかかった。
5時頃、エリの母親がやってきた。
「エリの辞表です」
「え、辞表?」
「エリは鬱病で衰弱しきっていて、歩くこともできません。お医者様にもそう言われてます。受け取って受領印を押してください」
「今日は無理ですよ」
「じゃあ、辞めたという証明書を発行してください!!」
会社辞めた証明書ってなんだ?と深田は首を傾げた。
「お母さん、ちょっと待ってください。私だけで決められません。株主もいるんですから」
「じゃあ、今すぐ株主全員に電話してください」
さすかに面食らった。
会社の副社長やってる人間がお母さんに辞表持って来させて、株主全員に電話しろというのである。
「お母さん、できるだけ早めに株主に連絡しますから、今日はお引き取り願えませんか?」
「分かりました。早めに連絡ください」
そう言って、母親が帰ろうとした時にそうだと思った。
「お母さん、エリちゃんの病気、長引きそうでしたら、良かったら彼女の私物を持って帰ってあげたらどうですか?」
そう言って、深田はエリのデスクを開けた。
すると、あるはずの化粧ポーチやハンドクリームが無い。
ロッカーを開けても空っぽだ。
「おかしいな、何にも無いみたいですね」
「そうですか、それでは失礼します」
そう言って、母親は帰っていった。
帰宅後、ワインを飲みながら、深田は思いふけった。
「なんで私物ないんだ?」
ハッとした。
飲みかけのグラスを置いて部屋から駆け出し、夜道でタクシーを見つけて飛び乗った。
ガチャガチャとオフィスのドアを開けて、開発中のシステムのケースのネジを外した。
「ない…」
硬く閉められたケースのネジを外して、二つ目、三つ目と開けていく。
ハードウェアケースの中身にあるはずの開発中チップとハードディスクドライブまでも残っていなかった。
わざわざネジで締めてるケースから取り出していくなんて…
何千万と開発費をかけたものがアッサリと副社長に持ち逃げされた。盗んだ本人が消えたとなれば、株主から訴えられるのは自分だ。
その場に座り込んで、深田は電話を掛けた。
「マイケル…開発中のチップが盗まれた」
「警察に届けろ」
「警察…」
深田は戸惑った。少し前まで毎日一緒居た親友を警察に届けるのかと。
「そして、緊急株主総会を召集しろ!お前の処分をその時に決める」
そう言って電話は切れた。
重い足取りで深田は中央警察に赴き被害届けを出した。これまでのように、被害届けの受理を断られたらとも思ったが、今回はあっさりと被害届けが受理された。
一年間、何度被害届けを出そうとしても警察には断られ続けた。巧妙な犯罪者達は殆ど証拠を残さなかったからだ。
「エリちゃん…」
もし、この事件が表沙汰になれば、青幇、中共国安がスケープゴートに使うのは証拠を残した彼女だ。
涙が止まらなかった。
ベッドに横たわって、ただ天井を見ていた。
神様、人間は、なんて残酷なゲームをするんですか。
TO BE CONTINUED